渥美の文化財1 <渥美町>
1 渥美町郷土資料館
伊川津貝塚や東大寺瓦窯など町内の遺跡から発掘された考古資料、江戸から昭和にかけての歴史資料、対照から昭和にかけての民俗資料、町ゆかりの画家の美術資料が常時展示されています。
また、さまざまな企画点や特別展なども開催されます。
2 渥美町皿焼古窯館
渥美古窯の1つ「皿焼振る窯跡群」(13基)の中で最も状態が良かった「12号窯」を復元保存したものです。
日常生活品や特殊製品を焼いた渥美古窯のあな窯の構造が見られる唯一の施設です。
3 伊良湖東大寺瓦窯跡
平安から鎌倉時代に活発に清算活動が展開された渥美古窯の1つで、3基のあな窯が保存されています。
奈良東大寺鎌倉再建時の瓦を焼いた窯跡で、「東大寺大佛殿瓦」と刻印された軒丸瓦や軒平瓦、平瓦などの瓦や瓦経、瓦塔(がとう)などの宗教用具が出土しています。
4 宮山原始林
宮山は、県の最南端近くにあって、高温多湿のため草木がよく茂り、原生林の状態を保っています。樹木は、暖地性常緑
闊葉(かつよう)樹を主として、常緑植物と陰地性の草木が密生し、典型的な海岸暖地性の常緑樹林となっています。
5・6 なぐさのシデコブシ 伊川津のシデコブシ
シデコブシの分布は、非常に限られています。湿地を好み、3月下旬から4月上旬頃、白ないしはピンク色の花をつけます。
なぐさの群落には、約200株が自生しており、井川津の群落とともに、県下でも有数のシデコブシの自生地となっています。
7 井川津貝塚
井川津字郷中全体に広がる大貝塚です。
神明社の境内では、1m以上の暑さで貝が堆積したところもあります。貝塚からは、縄文時代後期から晩期の遺物や人骨が
出土し、中でも叉状研歯(さじょうけんし)のある頭骨やゆうぜん土偶は全国的に有名です。
8 皿山古窯群
皿焼古窯が立地する山の東川斜面に築かれた窯跡で、8基のうち3基が調査されています。
ここからは、日常生活に使われた山茶椀や小皿、かめ、子持器台や香炉といった宗教用具などが出土しています。
窯の保存状態が良好な遺跡です。
9 ハマボウの野生地
西南暖地の海岸付近に自生する落葉樹で、初夏から8月にかけて、むくげに似た黄色の花を咲かせます。
温暖な渥美半島で亜熱帯植物が自生し、ここに自生するものが、その分布の北限にあたるものとして県から天然記念物に
指定されています。
10 ハマセンダン
近畿以西の暖地の海岸近くに生育する南方系の半落葉樹です。8月から9月にかけて、白く緑っぽい小さな花を咲かせます。
県内では他に見られず、その生育の北限とみられ、樹齢はおよそ500年と推定されています。
11 「椰子の実」記念碑
明治31年、民俗学者柳田國男が恋路が浜で拾った椰子の実の話を親友島崎藤村に語り、「椰子の実」の詩が生まれました。
昭和11年には、大中寅ニの作曲により国民歌謡となりました。
ここには、詩・曲二つの記念碑が揃って建てられています。
また、眼下には、日出の石門や恋路が浜を見渡すことができる景勝地です。
12 万葉の歌碑
岬の先端、灯台背後の古山斜面にこの歌碑は建てられています。碑面には、天武朝の皇族麻続王(おみのおおきみ)が伊良湖
に流されたときに詠まれた歌「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す(をす)」(万葉集巻一)が鈴木翠軒(すいけん)
のきごうにより刻まれています。
13 芭蕉翁之碑(芭蕉園地)
ゴルフ場入口近くの岩上に「鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎」と刻まれた芭蕉の碑があります。
これは、芭蕉が貞享4年(1687)に保美陰棲(ほびいんせい)中の愛弟子杜国(とこく)とともに伊良湖を清遊した時の句で、この地方の
俳人が芭蕉来訪100年を記念して、寛政5年(1793)に建立したものです。
14 磯丸園地
ゴルフ場の西、国道から少し北に入った所に漁夫歌人粕谷磯丸の園地があります。
ここには、「夏ころもきてもみよかしいらこ崎涼しき浪のよるの月かげ」と刻まれた歌碑や展望台が設けられ、人々の憩いの場所となっています。
15 西の浜製塩遺跡群
西の浜一帯は、製塩土器による「古代の塩づくり」が盛んに行われた所です。「西の浜海浜の森」には、岬1号遺跡の製塩のマウンドが
保存されています。ここで作られた塩は、奈良の都平城京へも特産物(調塩)として運ばれていました。
16 伊良湖神社

御衣祭(おんぞ)で有名なこの神社は、昔伊良久大明神といわれ、その草創は貞観17年(875)おにまでさかのぼります。
この地が伊勢神宮伊良湖御厨(みくりや)であったことから、神宮と深いかかわりを持っていました。
現在の御衣祭は、4月の第3日曜日に行われます。
17 藤原古墳群
昭和43年に発掘調査されたこの古墳群は、6世紀から7世紀に造営された豪族の墓です。18基確認でき、金銅装大刀(こんどうそうたち)
、耳環(じかん)、鉄ぞく、須恵器(すえき)などの副葬品が出土しています。
この古墳は、円墳で、平坦な海浜に立地する大変に珍しいものです。
18 保美貝塚
免々田(めめだ)川西岸のだいちに広がるこの貝塚は、縄文中期頃から弥生、古墳各時代の遺物が得られ、質・量ともに優秀です。
出土品には、陣国をはじめ叉状研歯のある頭骨、土器、骨角器、石器、銅ぞくなどがあり、盤状集積という珍しい埋葬の方法も見られました。
19 烏丸大納言の墓
保美霊山寺の裏には、室町幕府八代将軍足利義政のころに従一位准大臣となった烏丸資任(すけとう)卿の宝きょう印塔があります。
卿は応仁の乱を避け、所領伊良湖御厨の保美の里に逃れ、潔堂義俊(けつどうぎしゅん)を開山に堀切に常光寺を建立し、この地で
その障害を終えました。
20 杜国公園(とこく)
杜国は、芭蕉の愛弟子として知られ、罪により郷里(名古屋)を追われ、保美の里に隠れ住みました。
ここには、「杜国屋敷址(あと)」の標柱と「春ながら名古屋にも似ぬ空の色」と刻まれた句碑があり、杜国をしのんで訪れる
人々の憩いの場所となっています。
21 杜国の墓と師弟三吟の句碑
福江潮音寺(ちょうおんじ)の境内に杜国の墓と師弟三吟の句碑が並んで建てられています。
墓は、境内に移される以前の延亨元年(1744)、彼を慕う人々によって潮音原に建立されました。
また、碑には、芭蕉と越人、杜国の句が刻まれ、大正10年(1921)に完成しています。

「麦はえて よき隠家(かくれが)や 畠村(はたけむら)」 はせを (芭蕉)
「冬をさかりに 椿咲くなり」 越人
「昼の空 蚤(のみ)かむ犬の ねがえりて」 野仁 (杜国)
22 鸚鵡石(おうむせき)
伊川津椛(もみじ)の山の中におうむが人まねをするように音を反響させる岩があります。
伝説によると、昔玉栄(たまえ)という娘がいいなづけの心変わりを恨んで母の形見の横笛を抱き岩上から身を投げ亡くなりました。
以来、この恨みからか笛の音だけは反響しないということです。
23 江比間句碑公園
かつて盛義海水亭前に数基の句碑があったのを住吉神社近くの園地に移転し、その後も有志によっていくつかの句碑が建てられています。臼田亜浪(うすだあろう)、市川丁子(ていし)、鈴木鵬干(ほうう)、太田鴻村(こうそん)、伊藤明峰(めいほう)、松尾芭蕉などの句碑がその主なものです。
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